ID-S60 トラクションドライブとはどのようなことか
 
 
 トラクションとは、転がり運動する接触面にできるEHL油膜をせん断するときに生ずる抵抗力をいいます。そして、このトラクションによって動力を伝達することをトラクション・ドライブとか、トラクション駆動と呼びます。
 
 転がり接触面にEHL油膜ができない状態でも、固体の滑り摩擦力によって動力を伝えることができます。この場合はフリクション・ドライブとか、摩擦駆動と呼ばれます。摩擦駆動はトラクション駆動に比べて、駆動力は大きいが、接触面の摩耗や損傷が大きくなります。
 
 転がり接触する表面に、互に噛み合う凹凸をつけたのが歯車であり、これは歯車による動力伝達になります。
 
●何故いまトラクション駆動か
 前述のようにトラクション駆動は、転がり軸受の中で古くから実用されてきました。そして、歯車による動力伝達に比べて、(1)騒音・振動が小さい、(2)無段変速をやり易いという特長があるが、(1)伝達トルク容量が小さい、(2)回転伝達誤差があるなどの欠点もありました。
 
 しかし、最近の技術革新によって、(1)転がり面の形状精度と表面粗さ、(2)トラクションの大きい合成潤滑油、(3)転がり疲れ寿命の長い材料、(4)EHL油膜の解析技術の進歩が著しく、これらの成果をとりいれてトラクション駆動の信頼性が向上してきたので、産業機械から自動車の無段変速機にいたるまで、実用化がすすめられるようになってきました。
 
 また、自動車の自動変速機を無段変速化すると、燃料消費効率を最適にする制御が容易になります。そして、それによる石油エネルギの節約効果は、世界的にみて大きなものになるという試算もあり1)、地球環境問題からの要望も強いです。
 
●トラクション係数とは
 トラクション駆動では、転がり接触面で相手を駆動する側と駆動される側があります。図1のように、その周速をそれぞれU1とU2とします。そして、転がり接触面に働く法線力をN、接触面の接線方向に働く駆動力をTとして、T/N=μをトラクション係数と呼びます。
 

 
図1 転がり接触する2円筒
 
 
 トラクション係数μと接触面における滑りの程度を表わす滑り率S=(U1−U2)/U1の関係を示すと、図2のようになります。


 
図2 トラクション係数と滑り率
 
 
 すなわち、トラクション力Tは駆動される側にわずかに滑りがある時に発生し、或る滑り率のときに最大になり、さらに滑りが大きくなると減少します。そして、トラクション駆動はTがSに正比例する領域Iで使われます。トラクション係数μは使用する潤滑油の種類、法線力N、周速U、円筒の半径R、材料の縦弾性係数Eによっても変わります。
 
●接触面のEHL油膜の様子は
 転がり接触面は点または線接触します。そして、大きな面圧−−弾性接触応力を集中して受けると、その部分が弾性変形して面接触となります。すると面圧も小さくなって潤滑油膜もでき易くなります。さらに、高圧の下で潤滑油の粘度は指数関数的に大きくなることが知られています。
 
 最近では、圧力がある程度以上大きくなっても、それ以上油の粘度が増えない限界せん断応力があることや、流体の油が高圧の下で固定化することも発見されています。いずれにしても、転がり接触で普通に使われる3〜4GPaのような高圧の下では、潤滑油の粘度は非常に大きな“高圧粘性”を示すことが明らかにされています。
 
 この高圧における表面の弾性変形と油の高圧粘性を流体潤滑理論と組み合わせて、転がり接触面にできる油膜の様子を計算できるようにしたのがEHL理論です2)図3に、点接触する表面にできるEHL油膜厚さの測定例を示しました3)
 

 
図3 点接触面におけるEHL油膜の厚さ分布
 
 
 転がり接触が始まる油の入口と中央の部分の油膜は厚いが、接触の終わる油の出口と側面の部分では薄い油膜になっています。これを表面の側からみれば、油の出口と両側の表面には堤防が築かれており、ここで油はせき止められて流れ出にくいようになっています。このため接触部分の中央部に高圧の油が保持され、大きな接触圧力を油によって支えることができるのです。このことは、計算によっても確かめられています2)
 
●トラクション係数を計算する
 転がり接触部の油膜圧力の分布と油膜厚さについては、油膜の粘性特性をせん断応力がせん断速度に正比例するとするニュートン流体とみなした計算で実験とよく合うことが分かっています。しかし、この仮定の下では図2に示したSに対するμの計算値は、実験値の数倍も大きくなります。
 
 トラクション係数の様子を、いろいろなパラメータをいれて計算できるようにすることは、トラクション駆動による装置を高い信頼度で設計するために必要なことです。
 
 そこで、転がり接触面の中の小さな部分の油膜の粘性に、図2に示すように線形粘性(ニュートン粘性)、非線形粘性、限界せん断応力特性などを考え、さらに油膜のせん断による温度上昇でおこる粘度低下も採りいれて、実験と良く合うトラクション係数の計算式がいろいろと提案されています4)5)
 
●トラクション油を分子設計する
 最近のトラクション駆動の実用化を推進させた原動力の1つは、高いトラクション係数をもった合成トラクション油が開発されたことです。そして、トラクション油は、低温から高温までの広い温度範囲で使われ、高圧で、高速運転されるので高いせん断率の下で、長時間使われて安定であることが必要です。
 
 設計の上では、図2の領域Iで、できるだけ大きいトラクション係数であることが、機械の小形・効率化のために求められます。最近では100℃でμ=0.07程度を示す油もできてきました。
 
 そして、トラクション油は分子構造自体の力学的特性に基づいて、使用条件に合わせた最適分子設計が可能なほど、研究がすすんできました6)
 
●トラクション駆動を使った無段変速機
 図4にトラクション駆動を使った自動車用ハーフトロイダル式無段変速機(CVT)の例を示しました。この例では、トロイダル形変速機部の動力伝達効率は最高92%で、耐久性も自動車用としても十分なものが開発されています7)8)
 

 
図4 ハーフトロイダル式自動車用無段変速機
「参考文献」
  1)角田和雄:ころがり接触と省エネルギ、潤滑27-4 (1982) 217/223
  2)D.Dowson & G.R.Higginson:Elasto-Hydrodynamic Lubrication, Pergamon (1966)
  3)R.Gohar:Elastohydrodynamics, Ellis Horwood (1988) 149
  4)加藤(正)・加藤(康):弾性流体潤滑とトラクション性能、精密工学会誌、56-9 (1991) 1581/1584.
  5)村木正芳:潤滑油のレオロジー的挙動とトラクション、精密工学会誌,56-9 (1991) 1585/1588
  6)畑一志:トラクションオイルの分子構造とトラクション特性、精密工学会誌56-9 (1991) 1589/1592
  7)H.Machida & N.Kurachi:Prototype Design and Testing of the Half Toroidal CVT, SAE paper 900552 (1990)
  8)H.Machida & Y.Ichihara:Traction Drive CVT for Motorcycle, Proc. FISITA 905086 (1990)
「出典」
ベアリングQ&A 月刊トライボロジ1991.9 P42-43
 
 

 
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